文章を書こうにも何が萌えだがわからない・・・。
という状況で週末の更新ができなくて残念でした(/_;)
久々に実家に帰ったら(近いゆえに遠い)、自分の黒ファイ妄想文章の源がオタク的読書と実家の庭にあることがわかったのでひとりよがりに写真をUPしてしまいました。
見て下さる方はつづきからご覧くださいませ。
*******
緑がある水辺が好きなのも、渓流の魚の姿が好きなのも、全部ルーツが庭にあったのだと気づがされました。
今は、父親の盆栽帝国と化している庭ですが、子供の頃に見た祖父母が咲かせた花の記憶は色鮮やかです。
新学期を迎えてちょっぴり不安なときに咲いてたチューリップに励まされた記憶(球根系は母の得意分野)。チューリップは達は開き過ぎると怖かった。またパンジーもひげのおっさんみたいな顔で怖かったです。
そして甘く香るはつつじの生垣。
梅雨のころにはつつじの隣に虹色のアジサイが咲きます。
この頃は鮎釣りが解禁になるので、父が釣ってきたアユを塩焼きにして、庭の南天の葉を添えて頂きます。
同じ時期に濃い紫色の鉄線(クレマチス)と、桔梗が咲いていたと思います。この花の色に祖母が好んで着ていた涼やかな絽の着物を思い出します。
温室育ちでちょっと高飛車な印象の蘭は年中これでもかと咲き誇っていました。祖母はデンドロビウムとサボテンホリックでした。
夏には夏ミカンと琵琶が鈴なりでした。
秋になると柿がなって、メジロやヒヨスがつつきに来ます。
ヒヨスは大柄であまり美人ではありません。メジロをいじめます。
メジロは鶯色の小鳥で、黒目がちの目(というか黒目しかないよ)の周りを白いアイラインで囲ったかわいこちゃんです。
父はメジロが大好きで、罠を張って捕獲して飼育していました。ひどいアウトローぶりです。
祖母には「買ってきた」と嘘をついていました。
11月には地元の道祖神のお祭りがあり、祖父が手塩にかけて育てた菊の花が咲きました。
高さ120センチくらいある鉢植の菊を畑からカートで運んできて、庭先に作った3段のひな壇にずらっと並べていました。
黄色や白や赤紫の大輪はそれは見事でした。
凛とした菊の姿と香りを思い出すと、今も自然に背筋が伸びます。
厳しくもやさしい祖父の亡きあと、菊の手入れを多忙な(アウトローの)父が継いだのですが、父いわく、菊は片手間に育てるには難しいとのことで、その背は30センチくらいにしかならず数年で断念する事になりました。残念。
冬は雪うさぎの目にした南天の赤い実と、風邪ひいたら飲まされた雪の下が印象的です(雪の下は正式名ではないかもしれません)。今思うと、透明できらきらした産毛のはえた雪の下の葉は形も紋様も雪景色によく似合いです。
春の訪れを告げるのは梅の香りでした。
ある日、学校から戻ると、玄関に漂う甘くなつかしい香りに気付くのです。
盆栽コレクションの白梅が咲くと、父は玄関に飾りました。
それから、うちの庭には無いのですが、沈丁花の芳香が好きです。なぜか自分の中でこの春の宵の香りは別格です。
長くなりましたが、こんなにも庭の緑が豊かだったことに気づいたのは、黒ファイテキストを書いたが為です。
そうでもなければ自分など、当たり前のことに気付けなかったかもしれません。
今は忙しく殺伐と暮らしていますが、いつかは、緑と暮らせるでしょうか。
また、つれづれに書いた庭の記憶は、それに直接触れた当初は感慨もなく断片的なものでした。これを書いている今思いだすとさまざまな記憶と記憶がつながって、驚くほど豊かに広がります。
花の姿や香りを反芻しながらたぐっていくと、見えてくるのは家族や親戚の姿でした。
体は流れゆく時間に押し流されていきますが、記憶は自由ですね。
そこに自分ひとりのものではない記憶の存在を感じるのです。
深層心理に残った色鮮やかな記憶は実は万人が共有していて、感性が近ければいつでもコンタクトできるものではなかろうかと思います。
インターネット上の情報を同盟やチームサイトのメンバーでシェアするのと似たイメージでしょうか。
「データベースに貯まっていくのは人の想いです!!」と熱くDB Serverを語っていた頃が思い出されて懐かしいやら恥ずかしいやら・・・です。
:::::::::::::::::::::
水瓶の数を数えたら、全部で6つもありました。
水草を浮かべて、金魚が泳いでいるのが風流です。
現実的には・・・ボウフラ対策の為です。
こっちの水は甘いぞ~♪
我が家のアイドルとして君臨し続けて十数年のルン子。
(ねぇ、僕は僕は知りたい
親孝行ってどうやればいいんですか?)
おやつチョウダイ。
(自分で考えるしか ない よね)
【番外編】
駅近くの餃子屋さんの看板です。
店主は頑固一徹風で、バイトのお兄さんは体育会です。
ありがとうございました。